BOMING

無題

ふぅ。。

カ・メ・ラ

普段街を歩くとき、出かけるとき、最近では(もはや)撮影にいたるまで、もっぱらスッピンで過ごしている。



びっっっっっくりするくらいスッピン。ピンスー。(あ、なんか響きいいな)



もちろん、帽子やマスクで、その日に合わせて(顔がむくんだりしやすい体質なので)うまい具合に調整したりはするのだけれど。


でもわたしは大丈夫でも、わりとオモテに出る人がたくさんいる場所に行ったりする機会も多くて、そうすると写真に写る(集合写真とか、SNS用の写真とか)機会が多くて、そんなときは照明にあたって白く飛んでみたり、帽子の影に顔をうずめたり、ちょっと隠れるように端っこにいたりして写っていたんだけれど、、、




最近、仕事でご縁のあったカシオさんからいただいたデジカメを使うようになってから、写真撮影がすごく楽になりました。



スッピンで撮影しても、メイクアップ機能がついていて、自動で顔検出して写真のバランスを整えてくれるの。



といっても、プリクラみたいに目が瞼からはみ出たりはしないよ。(当たり前だけど。。。!)




メイクしていなくても


赤ちゃんみたいな素肌感の映りに、自然〜に写るので、気に入っています。



アイフォーンの加工みたいに、白トビしすぎないので、そこも気に入っていて、最近は毎日これ持ち歩いている。



すごく優秀なカメラです。





名前は、EXILIM-ZR50というカメラ。




Twitterにあげている写真とか、最近はこのカメラで撮った写真あげているよ。



で、インカメラみたいに、180度まわせば自撮りも楽々なところも、使い勝手が良いのです。




なんてね、最近のオススメアイテム。


お年玉でどうでしょう?
こんな風にまわせるよ。

2014年の終わりに寄せて。

2015年なんて、いつまでも近未来だと思っていたのに


もうそんな年を迎えてしまうのだから


確実に私はもう自分の範疇を超えた未来に一歩を踏み出しているのだなぁと


今朝、カフェでエスプレッソを飲みながらふと思った。



小学5年生の時に考えていたような


火星のグニャグニャ芋や星屑こんにゃくはないけれど


嗚呼


想像もつかない未来を生きるとは


今とは


こんなに


実感があって


実感がない


ものなのだなぁ。


と思います。




年々心が感じやすくなって苦しいと


いつか祖母が私に打ち明けたことがあったが


本当にそうだろうと思う。



80歳になったときに、記憶をなくしてしまうのは


きっと感受性に身体が追いつけなくなるからなのではないか。




2015年をどうしたいかという意志は、ある。



ないようで、ある。



諦めも、孤独も、今を見つめる力も、そして少しの希望も、


全てちゃんと手のひらに並べたまま、揺らぎの中を、しっかり走りたい。



そんな風に思います。





今年、私に関わってくれた全ての人へ


ごめんなさいと、最大限のありがとうを。

子供は子供だった頃

ベルリン、天使の詩(1987)
「子供は子供だった頃


何も考えず


癖も何もなく


あぐらをかいたり 飛び跳ねたり




小さな頭に


大きなつむじ


カメラを向けても


知らぬ顔」
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