LONGTIME NO SEE
なんでこうも、交信の更新というのはおざなりになってしまうのだろうか。
TwitterやらInstagramやら、手軽に発信出来てしまう手段がある今、PCをわざわざ開き、管理画面からログインして書くこのBOMINGは、やっぱりちょっと自分から距離があるのかもしれない。
だけどその一手間を愛おしむ人間になりたい(出来ればアナログ人間に戻りたい)と思うのが私ゆえ、こういう使用にしておきたいのは仕方のないことです。
文章を打っているとき、わたしの脳みそコンピューターのディスクユーティリティをお掃除しているような気分になります。
最近読んだ詩集。
最果タヒさんの、死んでしまう系のぼくらに。
冒頭、夢やうつつという詩で、もうわたしは、この人の虜になりました。
「遅くでいいから、愛してほしかった。
わたしがしんでも、わたしが目の前に永遠にあらわれなくても、愛してほしかった。
どこかでラッパの音がする。きみのほほに風がたどりつく。
そのとき、どこにもいない、知らないわたしのことを、ぎゅっとだきしめたくなるような、そんな心地に一生なって。愛はいらない、さみしくないよ。
ただきみに、わたしのせいでまっくろな孤独とさみしさを与えたい。」
最後の一行。
切実さと悲しみと愛情と業の深さ。
TwitterやらInstagramやら、手軽に発信出来てしまう手段がある今、PCをわざわざ開き、管理画面からログインして書くこのBOMINGは、やっぱりちょっと自分から距離があるのかもしれない。
だけどその一手間を愛おしむ人間になりたい(出来ればアナログ人間に戻りたい)と思うのが私ゆえ、こういう使用にしておきたいのは仕方のないことです。
文章を打っているとき、わたしの脳みそコンピューターのディスクユーティリティをお掃除しているような気分になります。
最近読んだ詩集。
最果タヒさんの、死んでしまう系のぼくらに。
冒頭、夢やうつつという詩で、もうわたしは、この人の虜になりました。
「遅くでいいから、愛してほしかった。
わたしがしんでも、わたしが目の前に永遠にあらわれなくても、愛してほしかった。
どこかでラッパの音がする。きみのほほに風がたどりつく。
そのとき、どこにもいない、知らないわたしのことを、ぎゅっとだきしめたくなるような、そんな心地に一生なって。愛はいらない、さみしくないよ。
ただきみに、わたしのせいでまっくろな孤独とさみしさを与えたい。」
最後の一行。
切実さと悲しみと愛情と業の深さ。